Yahoo!ニュースに「日本性別不合学会に改名 「障害ではない」広まり」と言う記事が掲載されていました。
内容としてはトランスジェンダーの研究を推進しているGID(性同一性障害)学会が、日本GI(性別付合)学会に名称を変えてたというものです。これはトランスジェンダーは障害でないとの考えが広がり、既に国際的な診断名として使われていない事を踏まえての変更だと言うことが書かれていました。
また記事の中では、「医療だけで解決できる問題ではなく、社会が変わらないと当事者の生きづらさは変わらない。今回の改名をきっかけに知ってもらいたい」と話したとも書かれれていました。
この記事を読んだときに違和感を覚えたことは、そもそも海外と日本とでは障害者に対する認識が大きく異なると言う点です。
海外における障害者とは、社会システムの障害によって、その人らしい人生が送れない状態にいる人を指し、そのため英語では「disabled persons(それをすることができない人)」というような表現を用います。そしてその状態は法律や環境を変えることで障害者という言葉を排除することが可能で、それは人は法の元に公正と考えるからです。
つまり「社会が変わらないと当事者の生きづらさは変わらない」と言う部分が、海外における障害者にあたる部分です。
一方日本では昔ながらの個人に我慢を求める文化が根強く我々もそれに慣れてて、全員を満足させる社会システムなんて存在しないんだから、そこまで望むのは贅沢だし我儘だって考えます。つまり日本では公正性より平等であることを重視し、そのため日本人が英語で障害者をなんと言うかというと、怪我や病気などが原因で身体の一部または精神が正常に機能していないハンディーキャップという言葉が頭に浮かぶと思います。実はこのハンディキャップは差別用語と誤解されるので英語圏では使われません。
そして「医療だけで解決できる問題」の部分が日本語における障害者であるか、どうかを指します。
このトランスジェンダについてのYahoo!コメントを読んでいると、
この図はアメリカにおける平等、公正、公平という言葉をどう捉えるかを端的に説明したものです。
例えば日本における生活保護受給などは公平性を保つための支援だと思います。また子育て世帯の支援で一律数万円を支援金として支払うなんていう制度がありましたが、これは平等性に重点を置いた措置だと思います。
しかし公正性が実現されているかというと、そうではないですよね。
多くの人は不満を抱えながらもで我慢して平等であること、公平であることを求めますが、公正であることは求めていません。むしろ、そんな夢物語で現実的には不可能とでさえ思っていると思います。
一方で海外では公正性を強く求め、それを実現するために多くの人が活動しています。困難かもしれないけど、望まないと決して手に入れることができないからだと思います。
ただどんなに公正性を訴えても、安全性が損なわれる主張には多くの人が慎重になるのは分からんでもないですよね。