のんびりいこうよぉ

障害児の父です。障害者関連、スーパーセブンとW650、プラモデル作成、そして福岡出身なので福岡ネタが大好きなアラフィフMBAホルダー。

さくらモーニングクルーズから熊本へ、応援の気持ちを届けました

8月のさくらモーニングクルーズ会場にて、熊本県の地震被災地への応援・励ましの気持ちとしてお預かりした義援金57,480円に、これまでお預かりしていた駐車場代の余剰金から50,000円を加え、合計107,480円を令和8年熊本地震義援金として熊本県知事宛に送付いたしました。

 

ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

被災された方々が一日も早く穏やかな日常を取り戻し、地域の復興が進むことを心より願っております。

そして、「クラシックカーが好き」という共通の趣味がつないでくれたこのご縁を、これからも大切にしながら、さくらモーニングクルーズらしい温かい輪を育んでいければと思います。

改めまして、ご協力いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

さくらモーニングクルーズ Vol.154

本日、毎月第一日曜日恒例のさくらモーニングクルーズを権現堂公園で開催しました。
ただ、6月はあじさい祭り、7月は天候不良により2ヶ月連続で開催できなかったので、実は2ヶ月ぶりの開催になります。

今朝は涼しいだろうと思って玄関を出たら、「このままクーラーが効いた部屋に戻りたい」と強烈に思うくらい、既に外は蒸し暑かった。

さくらモーニングクルーズが終わり、家に帰ってきてシャワーを浴びた後、幸手市の気温を見たら11時で31度。

「31度くらいなら、それほど暑くないのでは?」と思われるかもしれませんが、アスファルトの照り返しと直射日光で体感はそれ以上の暑さでした。

朝7時、いつものようにガレージからセブンを手で押し出してからエンジンをかけます。
この時間から権現堂に向かうとスタート時間よりも随分早く到着するので、わざと大回りして権現堂公園に向かいました。

約1ヶ月ぶりのセブンです。

乗る気になった日は、迷わず乗る。

暑さに弱いおっさんには、この気構えは大事なことです。

セブンで走っている時は風で意外に暑さを感じません。

でも、信号で止まると‥地獄。

とにかく暑い。

会場に到着すると既に何台かのさくらモーニングファンが来ていました。

しかも木陰がある場所の50%は埋まりつつある感じ。

そりゃ、そうだよね。

誰も炎天下に止めたくないよね。

今回のさくらモーニングクルーズの参加台数は約220台。

この暑さですから、もう少し少ないなと思っていました。
それでも多くのさくらモーニングクルーズファンにお越しいただき、本当にありがとうございました。

あの酷暑のなかオープンカー状態で参加してくれた車は両手で数えられるくらいでしたし、クーラーがない、あるいは効かないと思われる車も多数参加してくださいました。

みんな熱中症だけは注意してくださいね。

今月の権現堂公園では「ひまわり祭り」が開催されていたので、一般の方が利用される駐車スペースも混雑していましたが、トラブルなく無事に終了することができました。

いつも安全と周囲の目に配慮して利用していただき、ありがとうございます。

そして今回のさくらモーニングクルーズでは、7月末に熊本県で発生した地震への義援金も募集しました。

会場で皆さんからお預かりしたお金と、皆さんからお預かりしているさくらモーニングクルーズの余剰金の一部と合わせて、熊本県の「令和8年熊本地震義援金(熊本県)」の指定口座に振り込まさせて頂きます。

皆さんのお気持ちは責任を持って熊本県へお届けします。

振り込みが完了しましたら、領収書とともに改めてご報告します。

来月は9月6日(日)で開催予定です。

暑さが少し和らいていることを期待して、また元気で皆さんお会いできるのを楽しみにしています。

人生には、出会うべき時に、出会うべき人がいる


今日、相方が夏休み中の小学6年生の長女と家の近くのショッピングモールへ行った時のこと。

偶然、障害っ子次男坊が特別支援学校に通っていた頃の同級生のお母さんと会い、立ち話をしたそうです。

その時に聞いたのが、次男坊が大変お世話になった特別支援学校の教諭、T先生がお亡くなりになったという知らせでした。おそらく年齢的には60歳前後かと。

突然の知らせに、しばらく言葉が出ませんでした。

実は、うちの障害っ子次男坊は歩くことが得意ではなく、小学校への入学を考えた時、隣町にある肢体不自由の特別支援学校へ入学しました。

「特別支援学校」と一言で言っても、いくつか種類があり、子どもの障害の特性に合わせて学校が分かれています。次男坊が通っていたのは、肢体不自由の子どもたちが通う特別支援学校でした。

今でこそ元気に歩きますが、当時は生まれたての子鹿のように立っているだけでもフラフラしていて、長時間歩くことは難しい状態でした。

そんなこともあり、隣町にある肢体不自由の特別支援学校へ入学し、小学部5年生まで通いました。

その後、知的障害児向けの特別支援学校へ転校するきっかけとなったのも、T先生の助言でした。

入学当時は思うように歩くこともできませんでしたが、成長するにつれ、先生が手を引いて一緒に走ると、次男坊も走れるくらいまでになっていました。

その次男坊が手を引かれながらでも走っている姿を相方と二人で見た時は、本当に泣きそうになったことを今でも覚えています。

子どもが本来持っている力を信じ、その可能性を引き出してくださったT先生には、感謝の言葉しかありません。

ある日、T先生は私たちにこう話してくださいました。

「中等部まで待つのではなく、少しでも早く知的障害児向けの特別支援学校へ転校したほうが、次男坊くんはもっと伸びると思います。」

その言葉を受け、私たちは小学部5年生のうちに転校を決意しました。

地元の知的障害児向け特別支援学校へ足を運び、対応してくれたのは確か教頭先生だった思います。教頭先生に事情を説明して転校の準備を進め、6年生から新しい学校へ通うことになりました。

今振り返っても、あの時T先生が転校を勧めてくださらなければ、次男坊は違う成長曲線を歩んでいたのではないかと思います。

あの転校は、次男坊だけでなく、私たち夫婦にとっても大きな人生の転換点になりました。

だからこそ、そのきっかけを与えてくださったT先生がお亡くなりになったと聞いた時は、本当にショックでした。

次男坊が特別支援学校を卒業した時、相方と

「小学部5年生までお世話になったT先生に、成長した姿を見せに行こうね。」

と話していました。

でも、「そのうち行こう」が「また今度」になり、忙しさにかまけているうちに、結局一度もご挨拶に伺えませんでした。

今日、昔撮った動画を見返しました。

T先生が次男坊の手をしっかり握り、一緒に走ってくださっている動画です。

あの頃は、「走れるようになった」という結果ばかりに目が向いていました。

でも今見返すと、本当にすごかったのは、次男坊の可能性を信じ、寄り添い続けてくださった先生の特別支援学校の教員としての姿勢だったのだと気づかされます。

教育とは、知識や技術を教えることだけではない。

一人の子どもの可能性を信じ、その子にとって最善の道を一緒に考え、時には背中を押すことなのだと、T先生は教えてくださいました。

人生には、出会うべき時に、出会うべき人がいる。

T先生は、私たち家族にとって、間違いなくそんな存在でした。

心から感謝を込めて。

T先生、本当にありがとうございました。

今年もいただきます 古代蓮の里の削り苺 うまし!

行田にある、古代蓮の里に「削り苺を食べに行ってきました」。
あわよくば田んぼアートが見れられればよかったのですが、10時ごろに着いたら、既に90分待ち。無理ぽ。ってことで、目的の削りいちごを食べてました。日陰に入れば過ごしやすく、美味しく頂きました(相方と娘と長男坊が)。

削りイチゴを食べたら、次はさきたま古墳公園へ。


さきたま古墳公園には、1590年の小田原征伐の際、豊臣秀吉の命を受けた石田三成が忍城を水攻めにするため、ここの古墳の頂上に本陣を構えたといわれる丸古墳があります。さきたま古墳公園で丸古墳を見たあとは、本日のゴールである忍城です。

資料館の駐車場に車を停めて、一人200円を払ってクーラーが効いた資料館を見学しながら、階段の上り下りが苦手な障害っ子次男坊の手を引きながら御三階櫓(天守閣に相当する場所)まで登ってきました。資料館に展示されている資料も非常に貴重なもので、行田の歴史がよくわかる構成になってて、入館料200円は本当に安い。


ちなみに、行田市の「さきたま(埼玉)」は、現在の埼玉県という名称の本当の発祥の地です。奈良時代の『万葉集』に登場する「前玉(さきたま)」という地名や、大型の古墳が集まる「埼玉古墳群」が埼玉県の名前の由来とされているそうです。知らんけど。

18年間付き合ってわかった、ケーターハムJPEという特別な一台

子供の頃、「よろしくメカドック」や「サーキットの狼」を読んで育った世代なら、一度は「いつかはこんなクルマに乗ってみたい」と夢を見たことがあるんじゃないでしょうか。

自動車漫画といえば、他にも『シャコタン☆ブギ』『頭文字D』『湾岸ミッドナイト』『ボルト&ナッツ』『GTロマン』など、ずいぶん読み漁りました。

私がクルマに興味を持つきっかけになったのは、やっぱり「よろしくメカドック」です。

当時は中学校低学年だったかな。

「チューニング」という言葉に、意味も分からず憧れました。

そんな甘い青春時代です。

若い頃は「速さ」に魅了されていましたが、30代になると少しずつクラシックカーにも目が向くようになりました。

そして、いつしか『GTロマン』に出てくるようなクルマと一緒に生活したいと思うようになっていたんです。

その夢を形にした一台が、今もガレージにある1994年登録のケーターハムJPEです。

英国スウィンドン・パワートレインがボグゾール製C20XEエンジンを250馬力までチューニングした、当時のケーターハムのフラッグシップモデルでした。

このクルマを中古で手に入れたのは2009年7月。

そして今年で所有18年目に突入しました。

パチパチパチ。

18年も経つと、「所有している」というより、「人生の一部」と言ったほうがしっくりくる気がします。


JPEって、実はちょっとややこしい

ここから少しだけマニアックな話になります。

「戻る」ボタンを押さないで、あと少しだけ付き合ってください(笑)。

スウィンドン・パワートレインがチューニングしたC20XEを積んでいれば、全部JPEだと思っている人がいます。

でも、実は違うんです。

JPEとは、ケーターハム創立35周年を記念して、元F1ドライバーのジョナサン・パーマーが監修した特別仕様車のこと。

もちろん搭載されているのは、スウィンドン・パワートレインがチューニングしたC20XEです。

一方、同じ250馬力仕様のC20XEと6速ミッションを組み合わせ、レース専用シャシーに搭載したワンメイクレースカーはVX-RE(Vauxhall Racing Evolution)と呼ばれます。

ところが、このVX-REまでJPEと呼ぶ人がいます。

さらに、ひどい人になると「JPE-RE」なんて呼ぶ人もいます。

JPEは「Jonathan Palmer Evolution」。

VX-REのREは「Racing Evolution」。

つまりJPE-REは、

Jonathan Palmer Evolution Racing Evolution

になります。

エボリューションが2回出てきます(笑)。

正直、一般的にはVX-REまでひっくるめて「JPE」と呼ばれることも多いので、そこまで目くじらを立てるつもりはありません。

でもね。

JPE-REだけはない(笑)。

JPEの生産台数は53台と言われています。

ただ、限定車の生産台数というのは意外と後から変わることもあるので、私は「そう言われている」くらいに受け止めています。

実際はもう少しあるんじゃないの?

……ねぇ?

ちなみに、生産台数だけで言えば、ワンメイクレースカーとして製作されたVX-REのほうがさらに少なく、希少とも言われています。


C20XEという名機

JPEの心臓部であるC20XEは、直列4気筒2リッターDOHC。

ボアとストロークは、ともに86mm。

いわゆるスクエアエンジンです。

一般的にショートストロークは高回転型。

ロングストロークは中低速トルク型。

スクエアは、そのちょうど真ん中です。

もちろん、エンジンの性格はボアとストロークだけで決まるわけではありません。

カムプロフィール、吸排気、圧縮比、フライホイール重量など、さまざまな要素が組み合わさって、一つの個性になります。

それでも86mm×86mmという数字を見ると、「よくできたエンジンだな」と思ってしまうんです。

本来、このC20XEはノーマルで150馬力前後。

それをスウィンドン・パワートレインが250馬力までチューニングしました。

……カタログ上は、ですが(笑)。

だって、1リッターあたり100馬力でも十分すごいのに、125馬力ですよ。

「いくらなんでも盛りすぎじゃない?」と思ってしまいます。

いやいや、オーナーたるものカタログスペックは信じないといけませんね。

おほほほ。


ケーターハムが変わった時代

C20XE以前のセブンといえば、フォード・ケントエンジンや、それをベースにコスワースがDOHC化したBDシリーズが花形でした。

BDRに憧れた人も多いんじゃないでしょうか。

でも、時代は変わります。

排出ガス規制や部品供給の問題もあり、新しい高性能エンジンとして採用されたのがC20XEでした。

このスウィンドン仕様の成功をきっかけに、ケーターハムはハイパワー路線へ進んでいきます。

最近の頂点とも言える620Rは310馬力。

この「620」という数字は1トン当たりの馬力を表しています。

昔は「ケント」「BDR」「ボグゾール」とエンジンで呼んでいましたが、今は数字で呼ぶ時代になりました。

……おっと、また脱線しました(笑)。

一方で、660ccエンジンを積んだ160や170も登場しています。

これはアンソニー・コーリン・チャップマンの「軽いことこそが正義」という思想への原点回帰。

昔からのセブン好きとしては、どちらも「らしいなぁ」と思えるから面白いんですよね。


18年前、電話一本で決めた

2009年当時、新車ではデュラテックエンジンを積んだR500が発売されていました。

もちろん憧れました。

でも900万円近い価格。

安月給のサラリーマンには現実的ではありません。

そこで程度の良いBDRを探していました。

「結構なローンになるんだろうな」と覚悟しながら。

そんな時に見つけたのが、このJPEでした。

「これは逃したら、もう一生買えないかもしれない。」

そう思いました。

もちろん、不安もありました。

250馬力。

本当に自分なんかが乗りこなせるのか。

身の丈以上じゃないか。

何日も悩みました。

そして最後は理屈じゃありませんでした。

欲しい。

だって、欲しいんだもん。

結局、現車を見ることなく電話一本で購入しました。

結婚は買い物じゃありませんから(笑)。

今思えば、人生で一番勢いのある買い物だったかもしれません。


18年間乗って思うこと

ありがたいことに、大きなトラブルはありませんでした。

クラッチのレリーズベアリング。

燃料タンクからの微小なガソリン漏れ。

思い返せば、そのくらいです。

こういう少し変わったクルマを維持するコツは何かと聞かれたら、私は迷わず「クルマ仲間からの情報」と答えます。

そして、信頼できるショップ。

ただ、この「信頼」には二つあります。

一つは技術。

もう一つは人です。

どんなに腕が良くても、人として波長が合わなければ長い付き合いはできません。

旧車や趣味車というのは、結局のところ、人とのつながりで維持していく部分が大きいんですよね。


これからも、この相棒と

最近のケーターハムは、新車価格が900万円を超える時代になりました。

18年前に思い切って買った自分を、少しだけ褒めてやりたい気もします。

もちろん、そんな未来は当時の自分には分かりませんでした。

あの時あったのは、「欲しい」という気持ち。

そして、少しの不安。

でも、あの一本の電話が、18年間という時間をこのクルマと一緒に過ごすきっかけになりました。

18年前は、このクルマに自分が乗るなんて想像もしていませんでした。

でも今は、このクルマがない生活のほうが想像できません。

速いクルマはいくらでもあります。

性能の良いクルマもたくさんあります。

でも、「また乗りたい」と思わせてくれるクルマは、そう多くありません。

私にとってJPEは、まさにそんな一台です。

これから先も部品の心配や維持の苦労はあるでしょう。

それでも、このクルマと一緒に走れる時間を楽しみながら、できるだけ長く付き合っていきたいと思っています。

その言葉は、誰に向けて発せられているのか 〜障害福祉の現場で考えた支援者と家族の距離〜

続き

前回の記事を書いてから数日が経ちました。

あれから時間が経ったことで、私自身も少し冷静に考えることができるようになりました。

あの時、なぜあんなに心がざわついたのか。

何に対して悶々としていたのか。

改めて整理してみたいと思います。

「そっか、うちの子だけが迷惑をかけているんだ」

まず一つ目は、やはりここです。

「そっか、うちの子だけが迷惑をかけているんだ」

という部分です。

次男坊と同級生で、同じ時期に特別支援学校を卒業し、同じ生活介護施設Aに通っていた子がいました。

次男坊が通っていた時、施設の責任者の方から、その同級生の子のことを「うちの施設に通うようになって、すごく大人しくなりましたよ」という話を聞いていました。

私は、「そうなんだ。うちの子は、やっぱり他の子より大変なんだな」と感じました。

そして先日、相方が同じ施設に通っていた同級生のお母さんから、「今は、うちの子が遠回しに対処を迫られているように感じている」という話を聞きました。

「あれ?同級生のお子さんは良くなったって聞いていたのに」

「そうなの?うちの子は爪で抓ったりするので6月から長手袋着用するように言われたよ」

 

「あの時、同級生の子は随分良くなって、うちの子だけが迷惑をかけているみたいに言っていたけど・・・」という悶々としていましたが、よく考えると他の利用者さんの悪口を言う施設って信用できませんよね。

 

それと同時に、その伝え方には細心の注意が必要なのではないかと思います。

なぜなら、聞く側はその言葉を単なる「状況説明」ではなく、「自分の子供への評価」として受け取ってしまうことがあるからです。

特に障害のある子供を育てている親は、これまで何度も、

「この子はどうしてできないんだろう」

「自分の育て方が悪かったのだろうか」

そんな葛藤と向き合ってきています。

だからこそ、支援者から発せられる何気ない一言が、想像以上に大きな意味を持つことがあります。

セカンドオピニオンとして

そして、2つ目。

それは、「セカンドオピニオンとして、今かかっているお医者さんとは別のお医者さんに相談してみてはどうか」という提案です。

もちろん、別の医師の意見を聞くこと自体が悪いわけではありません。

医療の世界でも、セカンドオピニオンは珍しいことではありません。

施設側としては、良かれと思って提案したのかもしれません。

しかし、その言葉を受け取る親御さんの気持ちまで想像できていたのか。

そこが大切なのだと思います。

そのお母さんは、子供のてんかん発作と長い年月向き合ってきています。

発作が起きるたびに心配し、病院に通い、医師と相談しながら薬を調整し、少しでも子供が楽に生活できるように努力してきたはずです。

そんな親御さんに、

「薬が合っていないんじゃないですか」

という言葉を投げかけることは、本人にその意図がなかったとしても、

「あなたが今までやってきたことは正しかったのですか?」

と言われたように感じてしまう可能性があります。

相手がどんな思いで、その年月を過ごしてきたのか。

そこまで想像することが必要なのだと思います。

今飲んでいる薬をやめて、漢方に

そして3つ目。

「今飲んでいる薬をやめて、漢方に変えた方が良いですよ」という話も同じです。

施設の人が、自然由来のものが良いという考え方を持つこと自体を否定するつもりはありません。しかし、抗てんかん薬というものは、本人の状態や副作用などを考えながら、医師と相談して長い時間をかけて調整していくものです。

親御さんにとって、その薬にたどり着くまでの道のりは、決して簡単なものではありません。

「この薬に変えてから少し落ち着いた」

そう思える薬に出会うまでに、どれだけ悩み、試行錯誤してきたのか。

そこを知らずに別の選択肢だけを提示されれば、傷ついてしまうのも無理はないと思います。

 

これら3つとも、善意からの一言かもしれません。

しかし善意だからといって、無条件に言って良いものではないと言うことです。

仮に言うなら、責任を伴うとともに寄り添う気持ちが相手に伝わらないと、無責任な善意の言葉になります。

施設に合わない利用者さんが退所

私が一番大きな問題だと感じているのは、

「施設に合わない利用者さんが退所という形になる」

ということです。

ただ、ここについては、生活介護施設Aだけを責めたいわけではありません。

高齢者介護の世界でも同じだと思いますが、障害福祉の現場は慢性的な人手不足です。

そして、受け入れてくれる施設そのものも不足しています。

そのため、利用者側は施設を自由に選べる立場ではありません。

もし、今通っている施設を退所することになっても、すぐ次の場所が見つかる環境であれば、ここまで大きな不安にはならないと思います。

もちろん、退所に至った経緯への不満は残るでしょう。

でも、「次はどこに行けばいいんだろう」という絶望的な不安にはならない。

相談支援専門員さんという存在がいて、一緒に次の方法を考えることができます。

しかし現実には、次の受け入れ先が簡単には見つからない。

だからこそ、施設を退所するということは、利用者や家族にとって非常に大きな意味を持ちます。

 


今回、私が悶々としていた理由は、おそらくこの二つだったのだと思います。

一つは、言葉の重さに対する配慮。

もう一つは、利用者側が置かれている弱い立場。

施設にも事情があります。

職員さんにも限界があります。

すべての問題を施設側の責任にするつもりはありません。

実際、その施設があることで救われている利用者さんや親御さんがいることも間違いありません。

ただ、障害福祉という、人の人生に深く関わる仕事だからこそ、技術や制度だけではなく、「言葉の扱い方」も大切な専門性の一つなのではないか。

今回の出来事を通じて、そんなことを考えました。

生活介護施設を退所した息子。その経験から考える「支援」と「尊厳」

 


我が家には現在、大学3年生の長男坊、去年3月に特別支援学校を卒業し、現在は生活介護施設に通う障害っ子の次男坊、小学校6年生になる長女の3人の子供がいます。

去年3月に特別支援学校を卒業した障害っ子の次男坊は、生活介護施設Aに通っていましたが、昨年11月ごろから生活介護施設Aから、次男坊の強度行動障害の影響で施設がうまく回らないというような内容が連絡帳に記載され、遠回しに退所を迫られるようになりました。

そこから生活介護施設Aと第三者相談員さんと私の3者で話し合いを持ちました。

退所を迫られても、次に受け入れてくれる施設が簡単に見つかるわけではありません。こちらとしては、どうにか生活介護施設Aの方で継続して受け入れてもらえないかという方向で話をまとめたかった。

しかし、連絡帳に書かれる内容は、「息子さんが介護職員の腕を抓る」とか、「駄々をこねて踵を強く床に打ちつけ、周りの利用者さんの迷惑だ」というようなことを毎日書かれていました。

知的障害者の介護に携わったことがある人、あるいは障害者福祉に関わったことがあれば、強度行動障害という言葉を耳にしたことがあると思う。

強度行動障害の主な特徴と行動

本人の意思や性格の問題ではなく、以下のような行動が長期的に繰り返されます。

・自傷行為:頭を壁に打ちつける、皮膚をかきむしるなど
・他害行為:人を叩く、噛みつく、髪を引っ張るなど
・環境変化へのパニック:予定の変更などによる大声、長時間の泣き叫び
・その他:異食(食べ物以外を口にする)、重度の睡眠障害など

つまり、本人にどんなに叩いても、言い聞かせても、自分自身で抑えられないんです。

そのため基本的な対応と支援としては、そうならない環境を整えることになります。

例えば、突然の予定変更など予期せぬ出来事への対応に弱かったりするので、あらかじめ予定を伝えておく。他にも、気が散らないスペースや、一人で落ち着いて休める小部屋(クールダウンスペース)を用意する。行動の背景の理解(応用行動分析:ABA)として、その行動が「何を訴えているのか(要求、回避、注目など)」を分析し、適切なコミュニケーション方法を学習するなどが言われています。

そこの施設はワンフロア(大部屋)で、みんなが過ごすことにこだわっているので、強度行動障害が出た時に有効とされる小部屋(クールダウンスペース)を設けることはしないということでした。

そうすると、他の人を抓るとか、床に踵を打ち付けるなどの強度行動障害の症状が出た時に、小部屋(クールダウンスペース)で落ち着かせることが有効だと知りつつ、ポリシーと合わないので「大部屋で過ごせるように厳しく躾けましょう」という始末。

それを連絡帳に書いてくる。

書かれている内容を見るたびに、相方は凹む。

最後は12月に退所し、1月から3月末までは、月・水・金は社会福祉法人Kへ、火・木はデイケアサービスにお世話になりました。そして4月から、今お世話になっている生活介護施設Bが開所したので、そちらで楽しく過ごしています。

これで生活介護施設Aとは縁が切れたと思っていました。

加えて、それは施設の運営方針に次男坊がフィットしなかっただけで、その施設があることで救われている利用者さんや親御さんがいることは間違いないので、ご縁がなかったんだと考えていました。


ところが、今日、相方が次男坊の特別支援学校時代の同級生のお母さんとランチをして、そこで話をした内容を聞いて、すごく心が悶々としています。

その特別支援学校の同級生の子も、卒業後は次男坊と同じ生活介護施設Aに通所していました。

次男坊が通っていた当時は、施設の責任者の方から、次男坊と同じ時期に入所した同級生の子について、「うちの施設に通うようになって、凄く大人しくなりましたよ」と言われ、次男坊だけが問題があるようなことを聞かされていました。

「そっか、うちの子だけが迷惑をかけているんだ」

その時はそう思っていました。

 

しかし今日、同級生のお母さんとランチしている時に、4月に入所して6月には、人を引っ掻いたり、抓ったりするので、長手袋のようなものをして通所させてくださいと申し入れられたそうです。

長手袋をつけて通所させても、子供は気持ち悪いのでしょう、自分で長手袋を外したりします。

そうすると連絡帳で、「長手袋をしても自分で外して困る」というようなことを書かれるそうです。

また、てんかん発作を持っているので、てんかんの発作が出ると座薬を入れる必要があるのですが、大人3人で抑えて対応しないといけないので大変だ。

挙げ句の果てには「てんかんの薬が合っていないんじゃないか」と言われたりしたそうです。

そのため、セカンドオピニオンとして、今かかっているお医者さんとは別のお医者さんに一度相談したらどうかと言われたりしたそうです。

うちの次男坊と同級生なので、おそらく19歳か20歳だと思います。

てんかんの発作が何歳から出たのかは分かりませんが、そのことに一番苦しんでいるのは本人と親御さんです。

仮に10歳で発病したとしたら、10年間そのことに向き合ってきたわけです。

自分の子供が、てんかんの発作で痙攣している姿を10年見てきているんです。

そんな親御さんに向かって、「薬が合っていないんじゃないか」と言うのは、「あなたが子供のためにやってきたことは、本当に正しかったのか?」と言われているのと同じです。

我が子のために心を砕きながら、誰よりも向き合ってきた母親に、それを言うのか。

しかも、障害者福祉の事業をこれまでやったことがなく、生活介護施設を開所して2、3年の素人集団が。

その言葉が、親御さんの尊厳をどれだけ傷つける言葉なのか、全く理解していない。


また別のお母さんには、お子さんのてんかん発作が治らず、医者と相談しながら長い時間をかけて薬を色々変えてきて、ようやく「この薬だ」と実感できる薬に出会った親御さんに、「今服薬している薬をやめて、漢方に変えた方が良いですよ」と提案したみたいです。抗てんかん薬って呼ばれるものは20種類以上あるそうです。その中から副作用も考えて本人に合う薬を見つけるのがどんなに苦難を要するか。

その親御さんは、さすがにブチ切れて退所したそうです。

そんな介護福祉経験がない、ど素人が生活介護施設をやっていますが、それでも、そこに通えることで助かっている親御さんがいるのは間違いない事実です。

ですが、ここの施設は言葉の重さを全く理解していないし、無意識に保護者の尊厳を傷つけています。

なので、悶々としています。

 

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