のんびりいこうよぉ

障害児の父です。障害者関連、スーパーセブンとW650、プラモデル作成、そして福岡出身なので福岡ネタが大好きなアラフィフMBAホルダー。

ありのままが完璧

子供が自分の失敗を許すことができず、自分を追い込み過ぎてしまう。そんな時になんていう言葉をかけたら良いだろうか、と悩まれている親御さんの話を聞きました。

私も結構自分の失敗は許せないタイプで、その気持ちはよく分かるなって思いながらも、どんな言葉をかけてあげたら良いんだろうって自分なりに考えていました。

その時、ふと思ったのが障害っ子次男坊のことと、プラモデル作りを再開させた時のことが頭をよぎりました。

他人視点

うちの次男坊は特別支援学校の高等部1年に通ってて、IQは測ったことがないのですが恐らく重度知的障害にあたると思っています。そういう背景もあり健常者の子供と比べると出来ない事が多いのは事実です。ですが、父親として彼を愛する気持ちは健常者の長男、長女を愛する気持ちとなんら遜色なく同じです。

それは家族だからじゃないのか。

そう思われるかもしれませんが、参観日や体育祭など色々な行事で子供達が通う学校に行くけど、やはりそこに通っている子供たちはみんな可愛いし、子供たちが失敗してもそのことで失望することはありません。

じゃ、子供じゃなくて大人だったらどうなんだろう。

それについても考えてみたのですが、同僚が失敗したからといって失望することはないんですよね。もちろん同じ失敗を何回も繰り返されると失望します。だからと言ってその人を見捨てるところまではいきません。次からどうすれば良いのか、少しでも疑問を持ったら相談してほしいなどを話し、一緒になんらかの道を探るようにしています。

それは私も先輩からそうやって育ててもらったし、仕事の場合は人が育たないと自分の仕事が楽にならないだけでなく、他の仕事に手を広げることができなくなるので多少時間はかかりますが見捨てることなく話をしながらやるようにしています。

自分視点

前述したのは自分が他人を見た時の話です。

では自分が自分を見た時はどうだろうか。

そう考えた時に、「もう少し上手くできるはず」って感じで私の場合は結構自分で自分に失望しているところが多いように思います。

なんでそう思うようになったのかは、今となっては不明です。

ただ、そういうダメな自分をとことん追い込んでしまう人の気持ちはわかります。

なぜ自分に失望するのだろうか

これはあくまで私の場合の話ですが、私の場合は何か理想のようなものと現状を比較し、そのギャップが大きいと自分に失望しているような気がいます。

その何かの理想のようなものとは、普通だったらこの程度はできているだろうという、これまた雲を掴むような非定量化された目標のようなものです。その非定量化された目標ですから、次からどうすればいいかを考えると答えが出ずに迷宮入りです。

現状を脱出するためにスタート地点とゴール地点は必要

私は非定量化された目標に対して自分はできている、あるいは自分はできていないと考える傾向がありそうだということを文章化することにより理解できました。ここでもう一つ重大なことに気が付きました。それは現時点で自分がどのくらいできているのかをわかっていないと言うことです。

それは非定量化された目標がゴール地点であるならば、自分がどのくらいできているかはスタート地点ということです。

このスタート地点がわからない上にゴール地点もわかっていない状態では、なにを、どう改善すればゴールに近づくかなんて考えられるわけはありません。

現状を脱出するための魔法の言葉

「自分の失敗が許せずに自分を追い込んでしまう」っていうことを考えるにあたり、私が失敗した人をどう見ているのだろうかという視点と、私自身が私の失敗に対してなぜ失望するのだろうかという視点を述べてきました。

そこで私自身は失敗をしてしまった人に対して失望感は持ち合わせいないけど、私自身が失敗した時には自分自身に失望しているということを書いてきました。

ここでのポイントは、もし私が失敗した時に他人は私の失敗に対して寛容であるかもしれないけど、私自身は自分の失敗を許せないということです。それは例え論理的に説明しても納得することはできず、結局は自分自身の気持ちに対してどう折り合いをつけるかが重要で、それができないと自分を追い込んでしまい過ぎることに繋がるんだと思います。

なぜうちの障害っ子次男坊のことを愛せるんだろう。なぜプラモデル作りを再開した時のことが頭をよぎったんだろう。そのことについて説明すると、障害っ子次男坊に限らず、みんな今のありのままが完璧なんだと思っているからです。もちろん出来ないことは沢山ありますが、彼自身が今できることを精一杯やっている結果です。今できないことはしょうがない。だからと言って、将来できるようになる可能性が失われたわけではありません。かといって他所のお子さんと比較して、その子のようになれって言っても、それは次男坊の個性を殺してしまうことですから他と比較することに意味はないですよね。

そうやって考えた時に約30年ぶりに車の模型作りを再開し、思った通りにできてない自分に歯痒い思いをしていましたが、でもこれが今の自分が出来ることなんだから恥ずかしがる必要はないって思えた時に、色々できてないところがあるけど、それも含めて今の完璧なんだって私自身が開き直ることができました。

最後に

ぜひ、自分の失敗を許すことができないで、自分を追い込み過ぎている方へ、誰かと比較することに意味はなく、今の貴方のありのままが完璧なんです。貴方を愛している人は、今のありのままの貴方を愛しています。どうか自分を追い込み過ぎないでください。